生き方をシンプルに・余計なことに時間を使わない

時間は有限

SNSなんてやったことありません。
ツイッター、フェイスブック、インスタグラム等々。

全部、自分の貴重な時間を取られてしまうこと

自分の時間は限られているから

余計なことには時間を使わない

じゃあ、このブログはなんなんだ!って、突っ込まれそうだけど

これは自己表現のひとつの手段です
この世の中に一人でも共感してくれる方がいたらいいかなって。
勝手に発信しているだけ

意識を先へ向けない

最近は常備菜を作ること自体もやめました

だって、常備菜作っても
たいてい、子どもは食べないから

なんなんでしょうね
子どもの鋭敏な味覚って

作りたてはおいしい、おいしいって食べるのに
時間がたったものは
ほぼ食べない

今までは、土日にまとめて何品か作ることが多かったのですが
最近は平日の夕食準備中に作ることにしている
それでもお弁当の繰り回しに苦労はしない、ということがわかったから

日々の夕食作りも気負わず
シンプルに

焼くだけ・ゆでるだけとか

それで十分
我が家の場合は

下手に手の込んだ料理を出すと
食べない、という変な法則

余計なことに私の貴重なエネルギーを使うことをやめました



ひとり時間を大切に

何度も出てきているフレーズだけど
子どもにだんだんと手がかからなくなってきて

自分の時間がだんだん増えてきて
ますます自分の時間を大切に使いたい、と強く思うようになった

余計な人間関係もだんだんと断捨離中。
自分が本当にこころからやりたいこと、失いたくないこと、以外はすっぱりやめることにしました

あっちにも、こっちにもいい人でいる必要はないかと
ようやく気づくことができました。

こころをこれ以上すり減らしたくない

2017/12/8追記
諸富祥彦著「悩みぬく意味」を読み返していたら、こんなことが・・・。

深く悩むことは人生でもっとも大切な課題のひとつ。
でも、深く悩むことのできるのは、すべての人間に備わっている能力でもない。
=できる人にしかできない。

どのように生きているか、というのはどのような質の時間を体験しているか、ということ。
著者いわく、それは、「よのなか時間」と「ひとり時間」。

「ひとり時間」も「表層時間」と「深層時間」とに分けられる。

ここを読んで、あ~私は「よのなか時間」から「ひとり時間」を大切にする転換点にきているのね、と納得。

他に、今読んでいる本
「仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える」泉谷閑示著

この本の中に、こんなことが・・・。
以下引用

忙しい日々に追われて、食事がガソリン補給のごとき義務的なルーティンワークに成り下がってしまっているケースに、少なからずお目にかかります。(中略)食への態度は、その人の人生への態度を反映しているものなので、もし食事が仕方なしにこなす義務のようになっているとすれば、それはすなわち、生き方自体が「仕方なしにこなす」ようなものになっていることを表していると考えられるのです。

引用終わり

ちょっと前までの自分は、先々の不安を考えすぎて、すこしでも不安を取り除くために常備菜作りに一生懸命になりすぎていたのだ、と気づかされました。

今、ココに意識を向けていない、ということ、だったのです。

なんだか、そういうことに疲れてしまって、最近では常備菜を作ることをやめてしまったのです。

今、ココに集中するとうことは、今流行りの「マインドフルネス」ですね・・・。


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