今年の夏は疲れていない気がする、なぜ?

基本的に、夏はキライなので、夏というだけで、うんざりするタチなのですが・・・。
今年の夏はいつもの年に比べて元気な気がするので、どうしてなのか検証してみました。

ちなみに、ここ数年のこれまでの夏は、子どもとともに夏休みに入ることができる仕事だったのですが、
今年は夏休み中も通常のように働いています。

と、いうことはつまり、肉体的・精神的にはいつもの夏以上につらいはずなのですが。

いくつか考えられる理由を挙げてみます。

・三女が小学生になり、保育所の送り、迎えがなくなった。(肉体的・心理的負担がなくなった?)

・アイスをほとんど食べていない。(これまでの夏は、毎日1個以上は食べていた。やっぱり体の内側からは冷やさない方がいい?)

・手作りの甘酒を飲んでいる。(毎日ではないけど。昨年も時々飲んでいたけど。)

・煮梅を食べている。(こちらも毎日ではないけど。こちらは毎年食べているけど。)

・忙しすぎるので、気を張っている。

・りんご酢を飲んでいる。(某薬品メーカーのお高いヤツ。原液1.8Lで3000円以上しますが・・・)

・スロージョギングをしている(夏休みに入り、トータル10日間ほどしかしていないけど)

・夜、寝るときに冷房を長めにかけて、熟睡できるようにしている(明け方3時ごろまで。電気代の節約よりも、体調管理を優先)

・なんでもかんでも頑張らねば・・・という思いこみをやめてみた。

・食事作り、掃除などはできないもの、とあきらめ、手を抜いている。

・栄養バランスは考えず、とりあえず、豚肉と野菜、納豆だけはよく食べるようにしている。

一応、考えられる理由を挙げるとこんな感じ。

結論
忙しすぎるので、逆に規則正しい生活になり、結果的に疲れを感じにくくなっていると思われます。
また、時間がないので、子どもの分のお昼のお弁当といっしょに自分の分も作り、食べているので
これまでの夏よりはバランスの取れた昼食をとっているいることも一つの要因かも?

やっぱり神様っていらっしゃるのね~

小学生の子を持つ親としての夏休み中のお役目。

夏休み期間中はラジオ体操の見守り&町内の公園内にある花壇の水やり(こっちの方が大変なんだけど・・・・・)というお役が夏休み中に1回必ず回ってきます。

ところが、今年は町内の児童会の会長を務めているため、そのお役が2回、回ってくるのですが(ラジオ体操初日と最終日に)なんと両日とも雨になり、そのお役を免れるという事態が発生しました。

いや~神様っていらっしゃるのね・・・というお話。

4つのパート&アルバイト仕事を掛け持ちして、あまりにも忙しすぎるので、神様がお休みを下さったのね、、と私は解釈いたしました。

しかも今日は、もし晴れていたら、そのお役目のあとに、7時半ごろから早朝品出しアルバイトへ駆けつけるという手はずだったのですが、昨日アルバイト先のリーダーさんより連絡があり、急きょ他の方が出勤してくれることになり、休んでもいいよ、とのお達しが・・・。

こちらも神様が計らってくれたのね~と感謝。

些細なことですけど、このようなことが起こった時に自分の力と考えるか、神様の計らいかと気づけることができるかが、人生の大きな分かれ道。

4月から多忙な毎日を過ごしていたけれど、ようやく息抜きができた朝でした。

そしてそして、今朝は8月に入り、初めての我が家のメルカリ商店での取引も発生。

最近は閑散としていた我が家のメルカリ商店ですが、久しぶりに取引があったのでした。
(ちなみにわずか134円の利益ですけどね)

明日からは自分の実家へ帰省します。(夫抜きで、子どもたちと・・・なんて身勝手な嫁でしょうか)

なんとそこではメルカリリアルフリマ&肉フェスが開催される・・・。

楽しみです。

末井昭著「結婚」を読んでみた。結婚の意味ってなに?

先日、某地方紙の書評欄で見つけた本です。

結婚している身分として、また結婚をなんとか継続させている身分として、
そしてこの結婚に意味があったのか疑問を持つ者として、
素直に答えを求めたかったので
さっそくネットで購入し、読んでみました。

失礼ながら、末井昭さんなんてこれまで全く知らず、ただ単純に結婚する、結婚しているということに対して、
なにか自分にピッタリくる答えはないだろうかと探すつもりで、いや、すがるつもりで読みました。

これまでも結婚について書かれている本は多々読んできたのですが(悩み多きゆえ必然的に・・・)
これまでの本と違ったところは、聖書に基づく男と女の解釈が書かれていたことです。

聖書的な解釈では結婚とは何なのか、男と女は何なのか、夫婦とは何なのか・・・

それらに対する見解が書かれていて、私の心にスッと落ちるものがありました。
クリスチャンではなくても一応信仰を持つものとして、やはり一番の大元の聖書ではどのように解釈されているか、ということは今の私の心には一番しっくりくるものがあります。

ちなみにこの本での聖書的な解釈は千石剛賢さんという方がされていたイエスの方舟という宗教団体での解釈なのですが・・・。
かつていろいろと世間を騒がせた団体のようですが・・・。
これまたそんな宗教団体があったことも、また千石さんなんて方も一切、知りませんでしたが。

それでもこの方が言われていた言葉にはしっくりくるものがあります。
さっそくネットでこの方が書かれた書籍を検索してみたらとんでもない値段がついていて、購入できませんでしたけど。

古い本、おそらくもう絶版なので法外な値段がついているのでしょうけど。

幸い、わが県の県立図書館にはおいてあるようなので、取り寄せて読んでみようとは思いますが。

なかなか聖書のなかでの、男や女、夫婦、結婚についてなんか書かれている書物をあまりお目にかかったことがないので、逆に新鮮でしたし、求めていた答えはこれだ!!って感じがしましたけど。

前半は末井さんのこれまでの人生が淡々と書かれているのですが、恵まれない家庭で育ったゆえに身に着けてしまった処世術には私にも共通するものがあり、共感できる部分でした。

一応断っておきますが、末井さんとやっていることは全然違いますが・・・。

後半からは聖書の話が出てくるのですが、今まで聞いたこと、読んだこともないような聖書に対する解釈が出てきて(私はクリスチャンではありませんが、聖書は時々読んでいて、信仰はしています)新しい発見が多々ありました。

いくつか紹介します。

「相手のしあわせをたえず祈れ」これは千石さんがクリスマスの集会のときに言われた言葉なのですが・・・。
それに対する末井さんの解釈になるほど、と思わされました。

相手のしあわせを本気で祈っているときは、自分というものが一瞬消えてしまいます。(略)つまり相手のしあわせを祈り続けることが、二人がうまくいく最善の方法

千石さんは女が作られた意味を次のように言っています。
「人間が神のことばを聞いてすばらしいものとなるためには、神のことばを聞いとるだけではあかんのです。聞いたことを、自分以外の誰かに間違いなく正確に伝え受け取らさねば、自分のすばらしさというものが現実にあらわれてこないんです。そこで、受け皿というか、すなおに男の伝えることを受け止める人格、つまり女がつくられたわけです。」(『隠されていた聖書』)

引用ばっかりで申し訳ないですが・・・もうひとつ
こちらは末井さんの文章より

愛されたい者同士が一緒にいてもうまくいきません。愛するということは、愛されるという意識を持つ者がいて成立します。(略)極端なことを言えば、男であっても女であっても、愛する者と愛される者がいれば愛は成立するのではないかと思います。

ちなみに千石さんの解釈では、「女は男を愛せない」です。
「あくまでも神の絶対意思として、男は女を愛し、女はその愛を受け止める」だそうです。

こんなことを書いていたら、ふと思い出したことがありました。
かつて(遠い昔)我が夫さんもいいこと言っていたな・・・と。
「○○は好きなことすればいい。俺はその姿を見ているだけでうれしいから」と。
まさに千石さんがいうところの男が願う真実のしあわせなのでではないかと。

いったいどこで道を間違えてしまったのやら。

おそらくその答えはまたまた千石さんのことばのなかにあります。

夫婦というものは一体になれさえすれば、何ものにもかえ難い宝を手に入れたようなもんで、打ち出の小槌をふるようにその夫婦のありかたから、いくらでもしあわせが湧き出ます。ところが、その夫婦の中に嘘が生じたとします。たかがちょっとした嘘くらいと思われるかもしれませんが、ちょっとであろうとそっとであろうと夫婦の中に嘘が入り込みますと、もうどんなにがんばっても、その夫婦はしあわせには絶対におとずれません。

末井さんの解釈では、

嘘が入ったとたんにお互いが引き裂かれてしまう、つまり他人意識が生まれるからです。

我が夫婦は最初から嘘のかたまりのようなものですから。少なくとも私は・・・。
ここで懺悔しますけど。

末井さんの言いたいことは一番最後の章「結婚の意味」に書かれています。
嘘がなく何事も包み隠さず付き合える相手、それがパートナーであると。

結婚はしてみたけれど、人生のパートナーにはなり得ていない、我が夫婦には痛いお言葉であり、全然遠い道のりです。
今まさに人生の岐路に立たされている我が夫婦はいったいこれからどうなるのでしょうか?
またどうすればいいのでしょうか?

末井さんと現在の奥様との間には聖書という共通の指針があったけれど、
残念ながら我が夫婦にはない。
私は聖書に親しんでいるけれど、夫さんは聖書には無関心。おまけに私にもおそらく今は無関心。

いったいどうすればいいのやら・・・?

再生の道はあるのかしら?

生きるって何?ディープな本を読んでみた。

「悩みぬく意味」諸富祥彦著
ちなみにこの著者の方は、心理カウンセラー

この本は2016年の8月に実家へ帰省したときに、某古本屋さんで見つけました。
タイトルからしてもすごいのですが、読んでみるともっとすごい。

「悩みぬく意味」のはじめにには
「生きてゆくことは、悩みゆくことである」とあります。

また、こうも書かれています。
「悩み方」の質が、その人の「生き方」の質を決めるのです。とも・・・。

初っ端からなんて深いのでしょう。
2016年夏に購入してから何回か読んでいたのですが、最近また読んでいて気づいたことがありました。
この著者の方はどうやらビクトール・エミール・フランクルという人の影響を強く受けているようだと・・・。

そしてフランクルという方はアウシュビッツでの体験を基に記した「夜と霧」という超有名な本を書いているらしい・・・。(お恥ずかしながら、ちなみに私は全くこれまでの人生で知りませんでした)
さっそくメルカリで検索して、なんとか古本をゲット。
出品数は多いけど、ほとんどがSOLD OUTになっている。
やっぱり有名な本なんだ・・・。

さっそく読んでみると、やっぱりすごい内容だった。

なんで今までこのことをスルーしていきたのだろう?
なんでフランクルの本を読んでみようかと気づかなかったのだろう?
そしてなぜこのタイミングで読んでみる気になったのだろう?

本当に神様は絶妙なタイミングでいろいろなことをはからうものです。
今まで、全く気にならなかったのに、今回だけは、このフランクルという人とはどんな人なんだろう?
著作を読んでみたいという衝動にかられたのです。

フランクルからのメッセージは

人間は「人生から問いかけられている存在」である

ということ

この人生の部分を神様、とか偉大なるものとかにかえるともっとすっきりくると思います。
ちなみに私はクリスチャンではありませんけど。
でも、神に対する信仰はあります。

今まさに夫との関係に悩んでいる私。

別に夫が不倫をしているとか、DVを受けているとか、お金を入れてくれないとかそんなことは全くないのです。
むしろ世間的にはとてもいい夫さんに映るでしょう。
でも私にはそんな表面的なことはどうでもいいことです。

もっと人生のパートナーとして精神的な深い結びつきが欲しかったのです。
残念ながら夫さんとはそんな結びつきは得られませんでした。(これまでは)

私がこんなことで思い悩んでいるなんてことは夢にも思わないでしょう。
そもそも私がどんな本を読んでいるかすら興味が全くないですから。

それでもフラクンルに言わせれば、人生からの問いに答えなくてはならない。
この状況の中で私は何ができるだろうかと考えなくてはならない。

しかもフランクルに言わせれば

「人生の状況」の「正しい意味」はたったひとつしかない

人間は意味を勝手にねつ造することなく、その「正しい意味」を「具体的な行動」で見つけ出さなくてはならない

さてさて私にはその意味が見つけられるのでしょうか?

三女の歯痛のおかげで一人の時間ができてほっとする

土曜日から小1の三女が歯が痛いと訴え、日曜の夜には痛さで眠れなくなり、緊急で月曜の朝一番に歯医者さんで看てもらいました。
おかげで、私は、午前中いっぱい休みをもらったので、急きょ、一人で過ごす時間ができた、という次第です。
おもいのほか早く、歯を看てもらえ、早々に子どもは学校へ送り出したので・・・。

先日も、三女さんは熱を出し、おかげで仕事を休ませてもらえたり、今回は歯が痛くなり、またまたおかげで休ませてもらえたり・・・と母の忙しさ具合をを察知して、うまい具合に体調が悪くなってくれる三女さんです。

土日は早朝のアルバイトもあり、一週間休みなしで働く母(=私)
4月からはパートを掛け持ちして、17時半までのほぼフルタイムの仕事みたいになっているので、
相当ガタがきています。からだもこころも、家の中も・・・。

=夕食のレベルが相当落ちている。
=家の中がかなり雑然としている。

まあ、それでもだれも文句は言わないけど。
夫さんは心の中ではいろいろと思ってはいるでしょうけど・・・。

やっぱりほぼフルタイムで働きつつ、家のこともやるなんてことははなっからムリでした。
それでも仕事はやめるつもりはないけれど。

なので、家事レベルをかなり落としています。
最低レベルです。
それでも家計簿だけは必ず続けていますけど。

文句があるなら自分でやれよ・・・と夫さんへ向かって心の中で訴えています。
掃除機もかけたこともないくせに・・・。
エラそーなことは言わせません。

そんな毎日があっぷあっぷな生活だけど
なんとかかんとかこなせている自分を自画自賛。

だれもほめてなんかくれませんから。

そんなこんなでやっぱり一人になる時間って大切、と改めて思うB型人間なのでした。

ちなみに最近判明した事実は、
土日の早朝品出しアルバイトの面々はなぜかB型の人が多いのであります。

だれにも指図されず、一人もくもくと作業するなんてことが好きなのはB型人間の特徴かも?と思っています。

ちなみに我が家は夫さんも私もB型、次女、三女もB型、長女は不明。

皆が好き勝手なことをしている協調性のない家族なのであります。