測らない勇気

量子力学で考える「体重を測る」という行為──観測することが現実を固定する

毎日体重を測っていると、「今日は○○キロだった」と、自分の“現実”を意識的に確定していくことになります。
その数値が理想から遠いものであればあるほど、現実を見せつけられているような気がして落ち込む人も多いでしょう。

でも、もし量子力学的に考えると──
「体重を測らない=その現実を観測しない」ことが、
実は“無限の可能性を保つ”ことなのかもしれません。


観測が現実をつくる ― 量子力学の基本原理

量子力学では、電子などの粒子は観測されるまでは「確率の雲」のような状態で存在しています。
観測した瞬間に、その波動が収縮し、ひとつの状態に“確定”します。

つまり、「観測しない限り、現実はまだ決まっていない」。
これは、シュレーディンガーの猫の有名な例に象徴される考え方です。

この原理を日常に置き換えると、「体重を測る=観測する」ことで現実を確定している、と言えます。


毎日の体重測定が「現実を固定」していく

毎朝体重計に乗って、昨日より増えていたら「やっぱり…」と落ち込む。
この繰り返しは、量子的に見れば「その状態を毎日観測し、強化している」行為でもあります。

人間の意識は観測者です。
観測者が「私は太っている」と信じるほど、その状態は現実として定着していきます。
意識の焦点が、物理的な現実にまで影響を与えるという考えは、量子論だけでなく心理学の分野でも支持されています。


測らないことで保たれる“可能性のゆらぎ”

一方、体重を測らなければ、「今の自分は何キロなのか」という情報は確定しません。
量子的には、これは“波動状態”のまま──つまり、あらゆる可能性が共存している状態です。

このとき、意識を「理想の自分」に向けていれば、
やがて観測(=久しぶりに体重を測るとき)した際に、
その理想像が現実として反映されることがありえます。

“測らない勇気”は、現実を未確定のままにして、理想を選び取る余地を残すことでもあるのです。


意識が現実を創る ― スピリチュアル×量子論の融合

「思考は現実化する」と言われるのは、決して比喩ではありません。
量子論の観測問題を意識レベルに拡張すれば、
私たちの「見る」「信じる」「焦点を当てる」という行為が、
現実を“選び取る”行為であることがわかります。

毎日“増えた数値”を見て落ち込むより、
“軽やかな自分”を思い描き、そのイメージを観測するほうが、
量子的には理にかなっているのです。


まとめ:体重計に乗る前に、どんな自分を観測するかを決めよう

体重計に乗るか乗らないかは、自分の意識次第。
でも大切なのは、「どんな自分を観測するか」という意図です。

体重を測る前に、

「私は軽やかで健康的な体を手に入れつつある」
と意識してから観測すれば、その現実が確定していくでしょう。

量子力学的にいえば、

「観測は創造である」

現実を創っているのは、いつだって自分という観測者なのです。

さて、この考え方で、私の体重は、どうなったのでしょうか?

実は、私はこの方法で?かどうかは証明しようがないけど、5キロ痩せました。まあ、私の場合は、自分の体重にフォーカスしない、ということにしたのです。ある意味、自分をありのままに受け入れるというか。

だいぶ前ですが、測るだけダイエットというのも、ブームでしたね。確実に少しずつ減っていくのなら、その方法も量子力学的にはOKですよね。どちらの方法を選ぶのかも、自分次第です。

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