ぼっちな食卓 限界家族と「個」の風景 読んでみた

岩村暢子著 中央公論新社 定価1700円➕税

帯より引用

好きなものを好きなところで好きなときに食べる。個人の自由を突き詰めたとき、家族はどうなっていくのか。類を見ない綿密な食卓調査が明らかにする、超「個」社会の現実

引用終わり

だいぶ前に、図書館で借りて、著者の別の本「変わる家族 変わる食卓」を読んだことがありました。

数日前に新聞の書評でこの本が紹介されていたので、さっそくAmazonで購入、読んでみました。

我が家と似たような家庭、意外と多いな。

もはや家族とも呼べないような家庭が。

この本に書かれているような食事風景、まさに我が家ですけど、何か?って感じです。

むしろ、一昔前の典型的な風景こそ、すでに珍しい光景になっているのでは?と妙に安心感を覚えました。

そう考えると、我が家はもしかして時代の最先端を走ってる?

自分が感じていた違和感は、間違ってはいなかったんだな、と思いました。

でも、このままいくと、「個」別化や「個」立化はますます進んでいくな、と確信を持ちました。

まあ、我が家ではすでにそうですが。

食事の時は、それぞれスマホをイヤホンで聞きながら、ですから。子ども達は。

私は、夫と同じ食卓にいることは、かれこれ7年程前から、辞めましたから、同じ時に、食べることもありません。

本では、居場所のない夫たちは、コンビニやスーパーで買ってきたものを自室のベッドの上で、食べる、とありましたが、一応、我が家はそこまではまだ、いってません。まあ、似たようなものですが。

かつては、主婦、もちろん外で働いている兼業主婦も含めて、が家族の食事を整えていたけれども、その負担感に耐えられなくなったのだと思う。なんで、家族の中で、1人だけが、それを担わなくてはならないのか?そのおかしさ、に皆、気づいてしまったのだろう。

外から買ってくる食事がイヤだと思うなら、自分で何か作ればいい、だけど、男たちは、そんなこと、しない。

健康を害していても、しない。

まあ、そんなもんでしょ。

女だけが、家族の健康にまで、気を配り、なんて時代は、終わり。

全部、自己責任。

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