家事シェアハウス、形だけではダメだと思うけど
子どもが小さいころは猫の手も借りたいほどいっぱい、いっぱいでしたので、夫さんの手を借りていましたけど、はて?子どもが大きくなってきたらあれ?私一人で、ほとんどできちゃうじゃないですか・・・。
っていうか、夫さんの手はもういらないのかも?ということに気づいてしまった・・・。
そして夫さんの方も何をカン違いしているのか、私から要求されなければしなくてもいいものなのだ、と勝手に思いこみ、最低限の言いつけ事(自分が食べた食器を洗う、ごみを出す(だけ)、風呂の浴槽(だけ)を洗う)しかしていない、という現実。
そして最近思うことは、家の中でも夫さん(かつ父親)の役割っていったい何なのだろう、ということ。
いなくても家庭がうまくまわっていく、ということはつまり「いらない」ってこと?
あ~そんなこと言っちゃだめですよ・・・。
必要なのは「カネ」だけか、やっぱり。
ここで、賢い、なおかつ危機感を常に感じている敏感な夫さんや父親ならば、自分の存在を示すために自分の勢力範囲を着実に広めていくことでしょう。
しかしながら、残念なことに我が家の夫さんは、言われたことしかできないおバカさんですので、何も言われないことをいいことに、どんどんと勢力を狭めて、ついには自室にほぼ引きこもってしまったのであります。めでたし、めでたし・・・。
いったい、何の物語じゃ?
つまり、どういう思いで夫さんは「家事シェア」をしているのか、ということが一番大事なのだと思います。妻を心から助けたい、妻に言われたからいやいやながらやっている、家族の一員としてひとつの家事を担っているか、女性も男性も等しく担うべきと思ってやっているのか。
こんなおバカな夫さんは我が家だけでしょうが、めぐり巡って夫さんがこのブログを目にして、あっ自分のことかも?と気づいてくれることを願って・・・。
そして世の中の男性の意識が少しでも変わって下さることを願って・・・。
「100匹めのサル現象」をねらっていますから・・・。