本当の孤独とウソの孤独がごっちゃになっている今がイヤ


孤独にも種類があるのだ

「孤独」と名のつく本がいくつも出版されています。
私の家にもいくつかありますけど・・・。

でもどれも本当の孤独を扱ってはいません。
だって、どの著者もつながろとう思えばだれかにつながれるのですから。

もしくはかつては孤独だったけど、今は違う・・・みたいな感じですから。

すべてを読んだわけではないけれど・・・。

いつだって、これは!と思って読み始めると、がっかりしていますから。
私が味わっている孤独とは違うな・・・と。

私に言わせれば、「孤独ごっこ」を楽しんでいるようにしか見えない。

本当の孤独を知っている人間からすると、本当に孤独を知っている人なんて、本なんて書けないでしょう、とは思います。

本当の孤独は誰とも心を通わせられない、ということです。
同じ屋根の下に暮らしている人ともさえ。

そんな自分を世にさらけ出せますか?
(おいおい、このブログはどうなんだ?って言われそうでけど。だって実名明かしていないし・・・)

誰にも縛られたくない、と望んで自らつながりを絶って一人で孤独ごっこを楽しんでいる人と、本当に誰とも心を通わせることができなくて苦しんでいる人とが同列に扱われているようで、これらの孤独ごっこをしている人の本を読んでいるとますます孤独感が押し寄せてきます。(それは本当の孤独じゃないでしょ・・・と突っ込みたくなりますけど)

あと、伴侶がなくなって必然的に独りになってしまって、孤独になった、という人も本当の孤独とは言えません。
だった、かつては心を通わせることができる人がいたのですから。

じゃあ、お前は夫も子どももいるだろ~、だから孤独じゃないでしょ・・・と世間様からは言われてしまうでしょうけど、周りに人がいるか、いないかなんていう基準ではなく、本当に私を理解してくれる、心の支えとなるパートナーがいるか、いないかという話です。

まあ、本当の孤独を味わったことも、考えたこともない人からしたら訳の分からない話ですね。

私の孤独感は小学生時代から始まっていますから、長いお付き合いです。

最近は私自身にやっぱり原因があるのだとさえ思えてきました。
私は「回避性愛着障害」なのでは?と・・・。

だれともつながれない孤独。

友達付き合いでもうまくいかず、結婚はしてみたけれど、夫さんとも深い関係を築けず・・・。

やっぱり私って変なんだ、という結論に今は至っています。

最近は漫画の世界へ逃避しています。
だれにも見られずにこっそりいろんなジャンルの漫画が楽しめますよ。

ブログ運営なんかより、まずは資格をとりたいわ、なんてお方はネットで学べるスクールもありますよ。

私も独自ドメインを取得して、word pressでブログ運営をやってみたいわ・・と思われる方は、まずはドメインをとってみましょう。

孤独の達人/諸富祥彦著を読んでみた

「孤独」にも種類があるそうな・・・。
①社会的孤立=選択的孤独
いわゆる、友人がいない、パートナーがいない、またパートナーとの別れの経験など
いわゆる一般的にとらえられている「孤独」のこと

②主体的に選択された孤独
一人の状態を受け入れたときのこと
いわゆる「ひとり」のこと。「おひとりさま」の状態ですね。
「ひとり」を受け入れ、楽しんでいる状態。

③深層の孤独
己の内面を見つめ、真の自己を取り戻す
著者は「単独」という言葉で表現されています。
この状態までくると、表面的なつながりをさけ、少数の人と親密で深い交流を求めるようになるのだとか。

じゃあ、私の現在の状態は、というと・・・
心を許せる友人はいない、パートナーはいるが、心ではつながっていない。
おひとりさま、でいることは全然平気。
むしろ家族で行動することすら、もう面倒なので、家族旅行は昨年から行っていない。
許されるのであれば、いつでもひとりになりたい、と思っている。
表面的なつながりはもとから嫌い。
でも少数の人との親密な交流もない。
だから本当にひとりぼっち。

こちらの本の中で、共感できた部分は・・・
「なぜこの人と一緒にいるのか」がわからないと結婚を続けられない時代になっている、ということ。

パートナーと一緒にいる意味や理由がわからない、ということ。

この部分には激しく同意です。

そもそも、結婚とは何なのか、人として結婚する、している状態というのはいいのか、悪いのか・・・。

子孫を残した後も、なお一緒にいなければならない理由なんてあるのだろうかと・・・。

女性は十分なお金さえあれば、ひとりでも子どもを育てていけるのはないか、とさえ思います。

父親の役割とはなんなのだろうかと・・・。

パートナーと親密な交流ができていれば、こんな悩みもなかっただろうに・・・。
残念ながら、パートナーとは初めから表面的なつながりでしかなかったのです。

私は夫さんと夫婦ごっこ、家族ごっこをしていたにすぎないのだ、と気づきました。

「夫婦ごっこする」ため、「家族ごっこする」ために結婚したにすぎないのだ、私は。

その偽りを続けるのが本当にイヤになってしまった、ということ。

自分の心に嘘をつきたくないですから。

夫会話するのもイヤだし、そんな夫も交えて子どもたちと旅行へ行くのもイヤ。

唯一できるのは子どもたちの母親である、ということ。

これだけは変えることのできない事実ですから。

ただ、それだけをしたかったんだな、してみたかったんだなって。

でも本当は「本当の夫婦」、「本当の家族」になりたかった。

でもできなかった、私には、やっぱり。

結局は人のことなんてわからないよ

まあ、結局、人間の本当の心、考えていることなんて自分ですらよくわからないのだから、いくら長い間となりにいる夫であろうとも、結局はわかり合えるはずもないのだけれど・・・。

それでもキミのことを知りたい、キミの考えていることを知りたいと自分に興味を示してくれるパートナーであるのか、そうでないのか・・・。

もちろん、これは私もあなたのことが知りたい、あなたの考えていることを知りたいと思えるようなパートナーであるのか・・・。

結局は人間に対する興味・関心なのかね?

はっきり言ってこれ以上夫さんのことは知りたいとも思わないし、知りたくもない。
15年間接してきて、これ以上知りたいとは思わなくなってしまった・・・・。チーン。

まあ、私も興味を示されても困るし。
いろいろ隠し事も増えてきたことだし。
(このブログとか・・・あんなこと、こんなこと・・・)

結局は自分にしか関心がないってこと?