「毒親」中野信子著を読んでみた。自分を自分で愛してあげてもいいのだ。



なんかここ数ヶ月、記事を書こう、という気力がわいてこず、ほぼ放置状態だったこのブログ。

久しぶりにこれは!と思う本を読んだので、読書感想なんかを載せたいと思います。

「毒親 毒親育ちのあなたと毒親になりたくないあなたへ」中野信子著

私のこころにずーっと居続けるひっかかりはいったいなんなのだろう・・・?と思い続けて、育った家族かぞくのせいにしてみたり、夫のせいにしてみたり、もちろん自分自身のせいにしてみたり・・・と試行錯誤を続けて46年もの時が経過してしまった。

ここ1年くらいのあいだに毒親、毒母というキーワードに導かれ、何冊か本を読みました。

まさか自分の母親が毒母であろうとは思ってもみなかった、というかそうであって欲しくない、というか・・・。

でも毒母の定義に当てはめていくと、もっともしっくりくるというか。

そうか、私がずーっと抱えていたなんだかわからない生きづらさは、毒母に毒されていたせいなのか・・・と思い至りました。

そんなことを思い、もう母の前でいい娘で居続けるのをやめよう、と46才にして決意しました(一応)

詳細は、面倒なのでまたいつか載せたいと思いますが、とにかく母の前で母にとってのいわゆる良い娘=母の思い通りな言動をする娘、でいるのはもうやめようと本当に思いました。

なので、今年の母の誕生日には何も贈らなかったし、母の日にも何も贈らなかった。

コロナのこともあり、もちろん実家へも帰省していません。おそらく今後帰省することはもうありません。

次に母に会うのは身内、親戚の不幸、もしくは母自身の不幸があったとき、と心に決めています。

母に会って、心の中がざわざわとするのにもう耐えられない、とはっきり思いました。

そして自分自身の心を封印して、別の人格=母にとっての良い娘で対応することにも耐えられない、と思い至りました。

きっとは母私のアタマがおかしくなってしまったんだろう・・・と思っていることでしょうね。(笑)

むしろその方が逆にいいかも・・・。

母の前で道化師でいることよりも・・・。

最後は本文からの引用で締めたいと思います。
以下引用

毒親育ちの子どもたちは、親に期待に沿わない自分を数えきれないほどの回数、繰り返し否定して育ってきています。
当然、自尊感情は低く、自分で自分のことを素晴らしいだなどとは到底、思える状態にはないでしょう。
そのために対人関係もなかなか思うようにはいかず、自分のことを認めることもできず、日々、なぜこんな生きづらい生を生きなければならないのかと暗澹たる気持ちになることも少なくはなかったでしょう。
しかし、こうした重荷を抱えながらここまで生き抜いてきたことこそ讃えられるべきことです。信じられないような重さを抱えて、ここまで生き延びてきたことこそ、賞賛にふさわしい事績であると、認めてあげてほしいと思います。一生懸命生き抜いてきた事実があるのだから、親からダメという烙印を押されたことがあったにせよ、自分をもっと自分で愛してあげてもいいのだと、どうか捉え直してあげてほしいと思います。過去を変えることはできなくても、その解釈と、自分自身の未来は変えられます。

自分を自分でもっともっと愛したいと思う、「46才ただのパート主婦」なのでした。

「ただのパート主婦」、という自分を表す言葉自体がすでに自分を愛していないような・・・。