父の人生が問いかける意味・夫の人生が問いかける意味


父の人生の問いかける意味

37歳の時に某一流企業を辞め、その後は職を転々とし、妻には愛想をつかされ、というか、浮気をされ、妻には逃げられ、47歳の時に正式に離婚し、その後は独りで暮らしていた父。
二人の子どもとは交流はなし。

孤独との戦いだったのではないだろうか?
どんな想いで過ごしていたかは、知る由もない。
だって、もう死んでしまったから。

想うところがあって、仕事を辞めたにせよ、その後、職を転々とした姿は、子どもからみたら、見れたもんじゃない。正直、顔も合わせたくない、もちろん話もしたくない、そんな存在だった。

それでも、父は自暴自棄になって、自ら命を絶つ、なんてことをせず、73歳まで生きていた。そこだけは子どもとして誇りに思う。
でも、すべてのことを、ただ酒で紛らわせていた。

酒なんかに頼らずに、前を向いて生きてほしかったな。

父が生きていた意味はなんなのだろうか?と考える。
誰にも必要とされず、それでも生きなくてはならない、死が自分の身に降りかかるまで。

惨めな人生だったと、感じていたのだろうか?
それとも、自分の人生を少しは肯定していたのだろうか?

子どもの立場からみたら、惨めな人生でしかないけれど、それは身から出た錆。
自分が過去に妻や子どもに対してしてきた非道な行いの因果だと、私は思う。

だから誰からも必要とされていない、そんな惨めな姿を世間にさらさなければならない、辱め。

もし、自分が同じ立場だったらとてもじゃないけど、生きてはいけない、と思うけど、父は生き抜いた。
そこにどんな心理が働いていたかは、知る由もないけれど、強い心をもっていたことは確かだ。

父の人生が、残された私に訴えかけるものは何なのだろうか?と考える。
父はただの反面教師だったのか?

誰に対しての反面教師?

どんなに惨めな姿になろうとも、死はすぐにはやってこない。
生き恥をさらさなくては死ねないのか、と妙に納得したけれど。

ひとりひとりの人生はどうしてこうも違うものかと、身近な人達を見ていて思う。

人生の中でのひとつひとつの選択の結果で、先々のことが少しずつ、少しずつ変わってきてしまうのか。

人生の中での出来事に対する思いの結果(=物事に対する捉え方)で、変わってきてしまうのか。

果たして、私の人生は良い方の道へ進んでいるのだろうか?
(夫をネグレクトというか、完全無視している時点で、良い道からそれてしまっているとは、思う)

父を供養するために、小さな仏具を買いました。
収納すれば、おしゃれなインテリアにもなる、ステキな仏具。

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夫の人生が問いかける意味

1回目の結婚生活は8年ほど?
実家近くに家を建てたのに、奥さんはなぜかそんなところに住みたくない、と言い出し、離婚へ。
子どもの親権は妻へ。
養育費を払う生活を続けていたが、元妻さんが再婚をすることになり、養育費を払わなくてもよいことになった。

その後、私と某結婚マッチングシステムを通じて知り合う。
バツ1、年齢差11歳ではあったが、そこそこの収入があったので、結婚に至る。(ある意味カネに目がくらんだ)

その後、奥さん=私の策略にはまり、3人の子どもを設ける。

うっかり、仕事を辞めたい、なんて口走ってしまったが故に、妻=私からの信用をすっかり失う。
すっかり信用も愛情も失われてしまったが故に、ほぼ口をきいてもらえない生活を2年ほど続けている。(君の存在理由は、基本、カネを稼ぐことでしょ。その根本的なことを全く理解していなかったことにある意味驚いた)

幸い、次女、三女からはまだ慕われているので、心の平静をなんとか保っている、らしい。

仕事はいやいや続け、というか30年以上仕事を続けているのに、その仕事の良さや意味をいまだに見出せない非常に残念ないきもの。
かといって、自分に合う別の道を探そうとも思わない不思議な人種。

結婚や仕事にいったい何を見出そうとしているのか、よくわからない。

いったい、何のために生きているのでしょう?
自分の人生は何なのだろうか?と立ち止まって考えたことが1ミリでもあるのでしょうか?

そして子どもたちには、父ちゃんは早く死ぬから、と全く根拠のない死ぬ死ぬ宣言を日頃から言いふらしている。

どんなに死にたい、と願っても自ら死を選ばない限り、自分の思うとおりにには死ねないのだ、という根本的な基本を全く理解していない様子。この辺は私の父を見ていて思うでしょ、フツー。いや、だれでもそんなことわかっている。

子どもたちには申し訳ないけど、1日も早くこの世からいなくなってくれても構わない、と望んでいますけど、彼自身が自分の人生の意味に気づくことがない限り、死は訪れないだろう、と思う。

そして、こんなことを望んでいる私の思い通りになんか、きっと神様はしてくれはしないでしょう。

こんな人でも、子どもたちにとってはまだまだ生きている意味があるのでしょうね。

まあ、もちろん義母もまだご存命ですから、そういう意味でもまだまだ私の思い通りにはならない、と思います。

いや~恐ろしいです・ブログですね。

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